尾山神社は金沢市の中心地に位置し、神門にステンドグラスが使われている全国的にかなりめずらしい神社です。というかおそらく唯一の神社だと思います。参拝者が多く、石川県内ではもっとも人が訪れる神社の一つです。
兼六園や金沢城公園も近いので、金沢に遊びに来られたら尾山神社で手を合わせていかれるのはいかがでしょうか。
ちなみに尾山神社境内に入る際、次のような禁止事項がありますのでご注意下さい。
一.車や馬で乗り入れること
一.魚や鳥を捕まえること
一.竹木を刈ること
これらの事は絶対に辞めてください。罰が当たります。こっぴどく叱られます。
前田利家と正室お松(芳春院)を祀る
御祭神は初代加賀藩主前田利家とその正室お松(芳春院)です。
ん?
御祭神が利家とまつ?
結構最近の人やん。
そんなのあり?
普通神社って天照大御神とか大国主命とかそんなんじゃないの?
と思う方もおられるかも知れません。
しかし全国的に徳川家康や豊臣秀吉、織田信長、武田信玄など武将たちが祀られてる神社は数多くあります。神道では人間死んだらみんな神様になるという考え方があるようです。素敵な考え方だと思います。
ちなみに天照大神も大国主命も古事記や日本書紀の記載によれば実在した我々日本人の御先祖様です。
御利益 =商売繁盛、必勝、文武両道、夫婦円満、子宝安産、災難除け
前田利家ってどんな人なの?
前田利家(まえだとしいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した日本の武将で、特に加賀藩の初代藩主として知られています。彼は戦国大名であり、豊臣秀吉や徳川家康といった武将とも関係がありました。以下は前田利家の主要な特徴や業績です。
- 加賀藩の創始者: 前田利家は、現在の石川県にあたる加賀国を領有し、この地に加賀藩を建国しました。この藩は江戸時代に長い間存続し、後の加賀藩主たちによって発展しました。
- 政治的な才能: 前田利家は優れた政治家としても知られ、領地の経済的な発展や領民の福祉を重視しました。彼の統治により、加賀藩は安定した経済基盤を築きました。
- 豊臣秀吉との関係: 前田利家は豊臣秀吉に仕え、その家臣として多くの戦闘に参加しました。彼は賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどで功績を上げ、秀吉からの信任を受けました。
- 徳川家康との連携: 豊臣秀吉の死後、前田利家は徳川家康とも連携し、家康の関ヶ原の戦いでの勝利に貢献しました。この戦いにより、家康は日本の支配者となり、江戸幕府を建てる契機となりました。
前田利家は、その知略と戦闘力により、戦国時代から安土桃山時代の日本史において重要な役割を果たしました。また、彼の統治によって加賀藩は繁栄し、後の世代に受け継がれました。
(以上chatGPT)
加賀百万石と言われる加賀藩の礎を気づいた人がこの前田利家ですね。
前田利家は14歳から織田信長に仕え、赤母衣衆として従軍し槍の名手だったため「槍の又左」の異名を持ちます。この母衣(ほろ)と言う言葉ですが流れやを防ぐために鎧の背に架けた布のことを言います。丸く膨らんだ布をつけて連絡の役を務めました。
織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした10人の黒母衣衆と前田利家を筆頭に9人の赤母衣衆とで合計19人。戦闘となれば諸隊のガイド的役割もあり、敵にとって目につきやすく大変危険な役回りであったようです。
お松はどんな人なの?
おまつは、前田利家の正室つまり本妻です。
天文16年(1547年)尾張の国に生まれ、前田利家のところに嫁いできました。
その時の年齢が12歳。小学6年生の年齢ですね。相手は9歳上の21歳の加賀のお殿様。
そしておまつは利家との間に2男9女を儲けます。
賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)では柴田勝家に味方して敗れた前田利家に代わって豊臣秀吉との和議に尽力した。
利家と共に戦国乱世を共にし加賀藩を支えた。
(賤ヶ岳の戦いとは、織田信長の没後に遺産や国の配分をどうするかを話し合った清須会議が発端となって勃発したと言われている。)
利家没後は芳春院として仏の道を生きる。
徳川家康が前田家にかけた際には人質として江戸で15年間忍従に耐え抜き1614年に金沢に戻った。その後1617年に金沢城にて71歳の生涯を終える。
まさに戦国烈女の鑑であり加賀百万石の母と敬われている。
三谷幸喜監督「清須会議」で剛力彩芽が演じた松姫とは関係ありません。前田利家は浅野忠信が演じています。なかなかに忠義でいい役どころです。
境内の庭園や池も規模は小さいですが大変趣があります。
尾山神社はロマンチックなステンドガラスがはめ込まれた神門と本殿が目立つため見落としやすいのですが、庭園と池がとても味わい深いものがあります。
そこまで大きな規模ではないですが、ベンチに座りながらぼーっといつまででも眺めていられる静かな空間で心地よさを味わえます。
2020年かつて尾山神社と玉泉院庭園を結んでいた鼠多門橋が復元され金沢城公園、兼六園への道が開通しました。
この鼠多門橋の復元によって金沢を観光に訪れる人にとっては尾山神社の価値がグンっと上がりより金沢を堪能できるようになったと思います。この鼠多門をくぐると玉泉院庭園が視界に広がります。
玉泉院庭園を超えると金沢城公園が見えてきます。
さらにその先を超えると兼六園にたどり着きます。
よってこれらを一度に回ることも可能になりました。
全部回ると所要時間は休憩時間を1時間入れるとして4時間30分くらいです。
尾山神社(30分)→玉泉院(30分)→金沢城公園(1時間)→兼六園(1時間30分)
かなりの時間と体力がないとなかなか厳しいでしょう。
全部を回るのは大変でも尾山神社を歩いた後にに玉泉院庭園を見るだけでもいいでしょう。
さいごに
近年の新幹線開業に伴い、ますます観光都市としてにぎわいを見せる金沢市。
その金沢市、加賀百万石の礎を築いた利家とお松が祀られているこの尾山神社。
そう考えると尾山神社に手を合わせないわけには行きません。
利家とまつが活躍した時代から400年以上。
今の金沢市に2人もきっと喜んでおられることでしょう。
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