ウォーキングの恐るべき効果(Part2)ずっとできなかったあることが当たり前に出来るようになってた。

健康・美容

ウォーキングを始めて1年3か月。鏡の前で自分をほめちぎりながらゆっくりウォーキングをすることの効果を先日ブログで書きました。

詳しくはこちら(顔が変わる!ウォーキングの恐るべき効果。一年続けて実感できたこと)

こちらの記事では実際に実感できた効果として、腰痛・疲労改善、約10㎏痩せた、ストレスがたまりにくくなった、顔が変わったことなどを挙げそれにより生活の質も向上したということを紹介させていただきました。

「ほめちぎりゆっくりウォーキング」は誰がやっても必ず良い事が起こる魔法のような運動だと思っています。昨夜就寝時寝床でいろいろ思考を巡らせていたところ、そういえば!!!もう一つ驚くべき変化が自分にあったなと思い至りそれを書こうと思いました。どうしてもずっとできなかったことです。

それは「両親に感謝をすること」です。

話が反れますが、私は10年以上前に家に缶詰め状態でずっと難関資格の受験勉強をしていたことがあります。合格率は3%以下の狭き門の法律系の資格試験です。法律はどちらかというと苦手で、にもかかわらず縁あってチャレンジすることになりました。それまで自分はあまり勉強してこなかったのですが、昔からそこそこ成績が良かったものですから頑張れば自分なら1年で合格できるだろう、いや必ず合格してみせると意気込んで勉強生活を始めました。1日15時間くらい勉強していました。最初の3か月は良かったのですが、苦手な法律ですから精神的に苦しくなっていきました。徐々に体にも変化が表れて行きました。頭、背中、胃が痛い。脇から大量の汗が出てくる。とにかく疲れる。それでも絶対に合格してやると拒絶しようとする体や心に鞭を打って勉強をやり続けていました。それまで勤めていた会社が倒産して焦っていたりいろんなマイナスの思いが自分を頑なにしていたんだと思います。その資格を私は4年かかり取得しました。しかしその頃には完全に私の体と心は壊れてしまっていました。

合格発表の掲示板に自分の受験番号があったのを目にしたときのことが忘れられません。自分の番号を見た時、私は何も感じませんでした。まったく嬉しくなかったんです。体を壊してまで頑張って取得した資格、合格さえすれば暗い現実から解放されるだろうとそれだけを頼りに頑張ったのに、合格しても全く嬉しくなかった。虚無感が湧いて来たのを覚えています。壊れた体でまともに仕事ができるはずもなく仕事生活はやはり地獄でした。毎日死にたい、消えたいって思っていました。

私は受験時代の4年の間に他県で4か月ほど入院生活をしていました。闘病生活は13年くらいですが、この4か月間の入院生活だけは奇跡的なことがたくさん起こる特別な時間でした。入院生活の中で私は一人の年老いた神主さんと出会います。自分の病室の向かいの病室にいる方でした。はじめは神主さんということは知らなかったのですが、なぜかその老人に引き付けられたんですよね。そしてその老人神主さんと話をするようになって40くらい年が離れているのですがなぜか意気投合して入院生活中ずっと一緒にいたと思います。話が尽きない。私はそのころ極度の対人恐怖症に陥っていたのですがなぜかその神主さんと一緒にいると心が落ち着くんです。いろいろ話を聞いていると神社の世界でもだいぶ偉い方だということがわかりました。いろんな方がその神主さんのお見舞いに来ていました。「先生」と呼ばれていました。ビジネスの世界でも誰でも名前を聞いたことがあるような人と一緒に仕事をしていたり天皇や皇后さまともつながりのある方でした。そんな神主さんと病院を脱走したり、時間外にこっそりお風呂に入ったりして楽しんだり看護師さんに叱られたりしていました。

その神主さんと一緒にいると不思議なことがたくさん起こりました。まず当時私は家の近くにある神社に行って毎日のようにお参りをしていたのですが、その神主さんはその神社に縁のあるかたでした。それも奇跡。あと入院生活でお金の心配をしていたらなぜかお金が入って来ました。何も言っていないのにあなたにはお世話になったからどうかお金をもらってくれないかと3人に言われました。このうち2人は断りましたが1人からはどうしても断り切れずお金をいただくことになりました。もう1人退院した後に現金書留でお金を送って来られる方がいました。とか病室の荷物を実家に届けないとなぁとかぼんやり考えていたらすごいタイミングでクロネコヤマトのお兄さんが病室の前を通りかかったり。あの人どうしてるかなぁとか考えているとまたまたすごいタイミングで電話が来り。とにかく怖いくらいに運がいいんです。それが連続するんです。そのことを神主さんに行ったら笑っていました。神主さんにあなたはこんな奇跡的なことがいつも起こるんですかって聞いたら「そうなんだよ~」ってまた笑って言っていました。「私はお金に困ったことがない。お金は必要な時に必要な分だけ入って来るから」とも言っていました。そして面白い人が次々と現れました。少年のような澄みきった目をした高齢の仏師さんとかオランダ人との友好の懸け橋となり外務大臣賞を受賞した今まで働いたことがないとか面白い老人とか。みんなすごく不思議な魅力の持ち主でした。(私は神社にはよく行きますがそこまでスピリチュアル的なことに傾倒しているわけではないと思っています。肯定も否定もしていない感じです。)

そんな入院生活はとても楽しいものでした。信じてもらえないかもしれないですが自分の頭上に何か大きな存在を感じその大きなものとつながり自分を導いてくれている感覚が入院生活中ずっとありました。退院したあと実家に戻ってきてしばらくしてまた勉強生活を始めたらその大きなものの存在を感じられなくなってまた苦しい生活が始まりました。

あの4か月は一体なんだったのだろうとその後もことあるごとに思い出していました。神主さんは私にいろんなことを教えてくれました。その中の一つに「両親に感謝することはすごく大切である」ということがあります。

人間小手先の努力でどれだけ頑張ってもダメなんだ。両親には感謝しなければならない。」

私はどうしても両親に感謝することが出来ませんでした。むしろ恨んでいたと思います。何をしようとしても反対してくる親。どうして自分にブレーキをかけようとするんだ。いつもいつも否定ばかりしてなんで自分の人生を自分らしく生きようとしているのを邪魔するんだ。ってこんなこと考えていました。神主さんから「両親に感謝することが大切だ」と言われて私はハッとして両親に感謝してみようと思いました。神主さんといる時には不思議とそれが出来た。だけど退院してからまた出来なくなった。感謝しようとしてもそれは言葉だけで心はそう感じていないんです。どれだけ感謝しようとしてもどうしてもできないんです。

もしかすると自分の病気この苦しみの発端には親に対する恨みが関係しているのかもしれない。そう思いました。当時私は親に対してだけでなく自分に対しても怒りや恨みで責めたり否定ばかりしていました。両親に対して感謝できない自分はダメだとも思いました。

その時私の人生の大きな目標がありました。「あー生まれて来てよかったな」と心から思うこと。それと「親に対して生んでくれてありがとう」という心から思うことです。これほんとに出来なかったんです。どうしてもできない。あと幸せってまったくなんのことかわからない。いったいどうしたら幸せなんてものが自分に訪れるのだろうかと本気で考えていました。

ウォーキングから話はだいぶ反れましたけど、気づいたんです。

いつの間にか親に感謝出来てる。当たり前のように親に感謝してる。こんな素晴らしい自分を生んでくれてありがとう。生まれて来てよかったな。って。これ自分にとっては本当に奇跡的なことなんです。

苦手なことを無理やり我慢してやり続けた結果何も得ることがなく、それどころか大きな苦しみを長年背負うはめになりました。

一方心地よさを感じながらほめちぎりゆっくりウォーキングをやり続けたら両親に感謝できるようになって生まれて来てよかったと自分を肯定できるようになりました。

ウォーキングの効果として腰痛疲労改善やストレス軽減、ダイエット、顔が良くなるなど挙げましたが、それの何倍もの素晴らしい効果として自分を肯定することができ両親に感謝することが当たり前のようにできるようになった。

実際ウォーキングが即両親への感謝につながったというわけではなく、自分を肯定し愛することが感謝につながります。その自分を肯定し愛する一つの手段としてこの「ほめちぎりゆっくりウォーキング」はすごくいいものだとおすすめできます。

「ほめちぎりゆっくりウォーキング」を是非やってみてください。

自分を愛さず否定ばかりする人間が自分を愛し肯定できるようになったらどうしたって世界は変わります。自分を苦しめていたのは自分なんだなって気づきます。

皆様が自分を愛し世界が幸せになりますように

ありがとうございます。

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