映画「流浪の月」を見た。同じ世界を共有できる人がいれば奇跡かもしれない。

映画

映画「流浪の月」 2022年公開 原作凪良ゆう「流浪の月」

先日、李相日監督の「悪人」を見て感動した私。李監督の作り出す世界観が私は好きだ。
主人公が抱える暗闇に心惹かれしその暗闇の中に見つける純粋な輝きに心動かされる。社会の中で感じる違和感を李監督は絶妙に表現してくれ私はその世界に酔い、強いカタルシスを得る。

本作「流浪の月」を見て昔感じた気づきを思い出した。

それは私は10代の頃母と話している時だった。
自分のことを理解してほしくて母と対話をしていた。対話という形をとっていたが本質は壁にボールを投げているようなものだった。母は私の投げたボールを受け取ることが出来ない。相手がグローブにキャッチした時の手ごたえをまるで感じられなかったのだ。その時に気づいて事は母と私は別々の世界を見ている。母だけではなく人はそれぞれ自分の見えている世界を見ている。同じものを見ているようでもまるで違うものを見ている。同じ世界を共有できる人が一人いればそれは奇跡に近い。と思った。
理解しあう努力は神経をすり減らしやがて絶望に変わる。それなら初めからあきらめてしまえばいい。そう思うことで若い頃の苦悩はだいぶ和らいだ。

しかしその後バリ島のある村を訪れた時に、私は心が震えた。私が足を踏み入れた世界の中に調和を感じたからだ。人。動物。自然。神様。すべてのつながりを感じた。外と内の境界がなかった。私も自然にその村の世界に溶け込み居心地の良さに酔いしれた。

日本に帰って来た時、体が緊張したのを覚えている。
調和と不調和。統合と分離。
なぜ日本ではバリで感じたような調和を感じられないのか。幼い頃に祖母の家で感じたような純粋な安心感を社会の中で感じられなくなってしまったのか。
過去の私はいろいろ考えて悩みに悩んだ。
分離された社会の中で人と人が世界を共有することは難しい。

そんな当時の自分を本作「流浪の月」は思い出させてくれた。

善と悪、有能と無能、勝ち組と負け組、敵と味方、仕事とプライベート、内と外、、、この社会は多くを分ける。

この「流浪の月」は分離された日本の社会で生きる若者たちの苦悩と希望を描いた作品である。

社会の中で孤立して生きる二人の主人公。
2人でいる時だけ素直になれた。

人と人を結びつけるものは不安か愛か。

不安は味方を作り敵も作る。そして敵を叩く。
愛はすべてを受け入れる。

本作では主人公の二人を通して綺麗な愛の形を見せてくれている。

バリ島のある村でこんな風習がある。
そこでは毎朝、各家庭で二つのお供え物をしていた。
ちょこん、ちょこんと可愛らしい二つのお供え物。
それは何かと尋ねたら、その奥さんは笑ってこう答えてくれた。

「これは神様と悪魔にそれぞれお供え物をしているんだよ。」

その言葉とその柔らかい笑みを浮かべる奥さんの表情を今でもはっきり覚えている。。
人々が世界を共有している村の光景。

月の下でみんなが同じ世界を見ている。愛のある素晴らしい世界。そして流れる。
そんな幻想を私はこの映画を見て抱いた。

多くの日本人はこの映画に共感できる部分が多いのではないだろうか。

映画「流浪の月」 2022年公開 原作凪良ゆう「流浪の月」

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